- 初日のシンポジウムでは、「大学モデルの伝播と変容」と題し、斉藤泰雄 (国立教育政策研究所)、近田政博 (名古屋大学)、長谷部圭彦(日本学術振興会特別研究員)の3名の会員に、それぞれラテンアメリカ、ベトナム、オスマン帝国における欧米大学モデルの受容と変容について論じていただいた。
企画者の意図は、大学モデルという、本研究会で以前から論じられてきたテーマについて、モデルの他国への移植という現象にとくに焦点を当て、その過程について論じていただくことにあった。上記の諸国・地域については、大学の創設や発展過程について日本ではあまり知られてはいないものの、すでに各会員が発表されている業績において、欧米モデルの移植に関連する興味深い内容が明らかにされている。大学モデル論はどちらかというと主要欧米各国の大学のあり方を捉える枠組みとして論じられてきたように思われるし、それは日本の大学の発展過程のあり方とも分かちがたく結び付いてきたといえるだろう。しかし、今回の企画ではモデルを受け入れた側の立場から各モデルを捉えることで、広く言えば、世界史的な視野から見た場合の大学モデル論への展望を与えてくれるものと考えた。
各報告の概要を簡略化してまとめておく。ラテンアメリカは、ヨーロッパ以外の地域では最も古い大学の歴史を持っているが、それはある面「忘れ去られた大学史」でもある。主にスペインの植民下で、宗主国のコピーともいいうるような最高水準の大学の設立が進められた。その背景には、布教を中心に植民地の文化を変容させようとする植民の目的が反映されていた。しかし、それは必ずしも植民地の現実にフィットしたものではなく、逆に植民地の大学像を固定化させることにつながり、長期的には現地における大学教育の形骸化・儀礼化を帰結させ、その後の大学改革運動の遠因となった。ベトナムでは、中国、フランス、ソ連、アメリカといった国々の植民や政治的影響化で、多様な大学モデルの導入が図られた。それらは強制された場合とある程度自発的に選択された場合とがあった。後者のほうが現地にはより根付きやすかったが、多様な外国モデルは相互に影響を及ぼし合い、現在でも拮抗・併存した関係にある。オスマン帝国は植民地化されなかったため、主体的な大学設立を進めることができた。そのモデルは近代西欧にあったが、モデルを自主的に選択する過程で、多様なモデルの摂取・導入が試みられた。一応の結論としては、オスマン帝国の大学は「仏独混合モデル型」であったといえるが、そのプロセスの詳細については、トルコや欧米においてもいまだ十分には明らかにされておらず、興味深くかつ重要な検討課題として残されている。また、上記いずれの国・地域でも、特に1990年代以降は大規模な大学改革が進行しており、欧米モデルに依拠しつつ発展してきたこれまでの大学のあり方を大きく変容させるような転換に直面していることにも言及された。
報告後の議論では、特にグローバル化に伴って急速な大学の変革が進行していることと関係して、大学モデルとはそもそも何か、あるいは、今モデル論を問うことの意味は何なのかといった疑問が提起された。それに関連して、今や「世銀モデル」とでも呼ぶべき高等教育の開発モデルが進行しつつあること、グローバル化の進行によってこれまでの各国・地域の伝統によらず一元的な形での変革がかなりの程度進行しているといえるのではないかといったことが報告者やフロアから指摘された。同時に、その一方で完全な一元化はありえず、これまで各国が摂取し、それによって自国の大学のあり方を形成してきたモデルは一定の影響力を持っているのではないかといった意見も出された。これらの論点は今回の企画に対して向けられた問いであると同時に、大学の大規模な変貌に直面する中で、その状況と大学史研究がいかに対峙しうるかという、より根本的な問題とも深く関係しているように思われた。
個々の発表の内容は非常に充実しており、参加者の関心を強く惹きつけた。その意味で今回の企画は成功であったと考えている。一方、その充実した内容を俯瞰できるような枠組みを企画者(司会者)の側でうまく設定できれば、後半の議論はより有意義なものとなったと思われる。また、司会の時間配分のまずさにより討論の時間を十分確保できなかったことも反省点である。これらの点は今後の課題として、より充実したセミナー企画のための検討材料としていきたい。
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